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酵母無添加で造った水酛甘露を火入れし、アカシアの期の樽に詰めて1年以上熟成させました。

アルコール分 13度
原材料名 米(兵庫県産)

     米麹(兵庫県産米)
精米歩合 70%

 

江井ヶ嶋酒造の歴史

History

当社は設立より100年以上にわたり、総合酒類メーカーとして多くの方々に愛されてきました。
『誠実』の2文字を社訓に掲げるなかで、誠実を以てことに従い、誠実を以て人に遇すること。
これを行動の原点として、いかなる時も社業の発展を怠らなかったと自負しております。

古き良きものを守り大切にする一方、伝統に固執することなく酒類の総合化を目指し、いつも時代にさきがける姿勢で
新たなニーズに対応してきました。その過程では、あらゆる研究と開発を重ねる日々。
これまで多くの名品を生み、社会に大きく貢献しております。
その結果、当社は酒どころとして有名な兵庫県において、総合酒類メーカーとして業界の注目を浴びております。

 

 はじまり 江戸時代~

江戸時代、明石の西部地区の浜手は「灘」と呼ばれていました。
良い湧き水と播磨平野の良質の米に恵まれた灘では、酒造りが必然のように盛んになり灘の酒として、その名声を博しました。 ところが東(神戸・灘)が全国的に知られるようになったことから、この地域を西灘と呼ぶようになったのです。
西灘で酒造りが始まったのは、江戸時代初期のこと。

土地の旧家だった卜部家の二代目卜部八兵衛のころからでした。
明治時代に入ると五代目ト部八右衛門の弟兵吉(左写真)は独立して自ら酒造業を営み、事業を拡大。 明治21年に資本金3万円で江井ヶ嶋酒造株式会社を設立しました。これが江井ヶ嶋酒造の始まりです。
商標は「日本魂」で、明治27年には「百合正宗」、翌年には「神鷹」を登録しました。

 

七つの木造蔵

当社初代社長のト部兵吉は、明治21年(1888年)に江井島地区の酒造業者に呼びかけ、 江井ヶ嶋酒造株式会社を設立いたしました。
同じ敷地内で7つの木造蔵があるのは日本でも珍しく、現在もなおそれぞれが別の役割を持っていますが7つの蔵すべてが使用されています。
酒蔵の特徴としては、窓が少なく壁が厚い構造のため外気の影響を受けにくく、室温を一定に保つことができ、酒造りや貯蔵熟成に適しています。
こちらでは、その7つの木造蔵についてご紹介いたします。

 

一升瓶酒を世に送り出す

一升瓶酒が普及する前の容器といえば、樽と徳利が主流でした。 ご年配の方々にとっては幼少のころ、お使いに徳利を持って酒屋に行き、
樽の呑口(栓)を三本指で捻って量り売りをしてもらった思い出をお持ちの方もおられるのではないでしょうか。
当時は、無断で有名レッテルの徳利張りをつけて売る偽造品が多く、取り締まることも難しい時代でした。
そんな中、明治32年、江井ヶ嶋酒造は自社で製瓶工場をもち、「日本魂」の一升瓶(1.8リットル)を他にさきがけて世に売り出しました。
この一升瓶は偽造品を未然に防ぐと共に、品質保持の面でも優れ、瞬く間に清酒業界のシンボルになりました。

酒づくりへの情熱

その後も、ト部兵吉の情熱・探究心・精神は受け継がれ、常に時代の一歩先を行く新たな需要に対処できるよう研究開発を繰り返してきました。
大正8年には、蒸留工場を竣工し、白玉焼酎、白玉みりん、ホワイトオークウイスキー、シャルマンブランデーを発売。大正10年には白玉ホワイトワインを発売しました。
そして昭和になり、戦争や不況をくぐり抜け昭和38年に山梨ワイナリーを竣工、シャルマンワインを発売いたしました。
また昭和56年には大分醸造所を開設し、伝統ある大分本格麦焼酎「福寿天泉」を好評のうちに世に送り出しました。
さらに3年後の昭和59年には現在の本社横の新ウイスキー蒸留所竣工。
清酒をはじめ焼酎やみりんのほかワイン、ウイスキー、ブランデーなどの洋酒部門にも積極的に取り組み、最新の設備と卓越した技術で優れた商品づくりに励み、多くの名品を世に送り出し、
今や『品質と信頼』を売る会社として酒のある豊かな生活のなかに大きく貢献しています。

 

 

 

 

 

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